偉人伝

先人から生き方を学ぶ〜橋下徹 前編(生い立ちからメディア出演まで)〜

 

先人から生き方を学ぶ、今回の偉人伝は橋下徹さんです。

橋下さんと言えば、弁護士というよりも政治家としてのイメージの方が、

今ではすっかり定着しているのではないでしょうか。

 

 

しかし、そんな橋下さんも2015年に政界から退き、

今では私人となり、数多くのメディアで独自の見解を発信しています。

橋下さんの人生を一言で表すなら、「行動」がキーワードになるくらい、

とにかく行動力がすごいです

 

 

今回は橋下さんの人生を振り返りながら、その行動力を学んでいきましょう。

 

 

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橋下徹の生い立ち

生まれは東京都渋谷区

維新の会の活動を見ても、大阪府へのかなりの思いがある橋下氏ですが、

生まれは意外にも東京都でありました。

しかし、物心がつく前に父親が自殺、母親はかなり苦労していました。

 

 

その後、小学5年生の時に、大阪府吹田市に引越し、翌年には大阪市内に移り住んでいます。

中1の頃には、母親は再婚しましたが、少年時代は決して裕福ではありませんでした。

孫正義編はこちらです。

 

 

中学高校時代はラグビー部に所属、高校日本代表候補に

中学時代には橋下氏はラグビーを始めます

ラグビーを始めた理由は「悪そうな部活に入った方が、逆に安全だから。」

まさに理論的な考え方ですね。笑

 

 

というのも、当時大阪市内の公立中学校に進学した橋下氏でしたが、

かなり不良が多かったそうです。

限られたコミュニティで安全に生き延びるために、あえてラグビー部を選んだようです。

 

 

しかし、そんな中でも橋下氏はその理論的な考え方からラグビー部をまとめあげ、

積極的に練習方法の改善にも取り組み、中学時代にはキャプテンを務めていたそうです。

もしかしたら、政治家としての活動のあり方は、この頃がベースとなっているのかもしれません

 

 

その甲斐あって、北野高校時代にはラグビーの高校日本代表候補となる、東西対抗戦への出場を果たします

北野高校は大阪府内でも有数の名門公立高ですが、勉強の名門校でラグビーの成果をあげるところが凄いですね。

落合博満の偉人伝はこちらです

 

 

大学時代の学生ビジネスで不渡手形をつかまされる

橋下氏は、高校時代の学業成績はあまり芳しくありませんでした。

現役時代は早稲田大学を受験するも不合格となり、その後一浪して早稲田大学政治経済学部に合格。

 

在学中は学生ビジネスで衣服を売ったり、様々なビジネスを手掛けますが、

そのビジネスにおいて不渡手形(お金の支払いを約束されていたが、債務者がなんらかの事情によって支払いができなかったもの)をつかまされて、訴訟にまで発展します。

しかし、橋下氏はその苦い経験によって、法律家を志すようになります

 

 

その後、94年に早稲田大学を卒業し、同年に司法試験に合格。

ついに弁護士として道が開けます。

 

弁護士としての活動からメディア出演まで

雇われ弁護士から1年で独立

司法修習生を経て、97年に弁護士となった橋下氏は、大阪の樺島法律事務所に在籍します。

しかし翌年に独立を果たし、橋下綜合法律事務所を開設します

そこでも、持ち前の交渉力を武器に示談交渉を軸として徐々に顧客を拡大。

飛び込み営業でも顧客を集め、最後の色街とも言われる飛田新地の顧問弁護士なども務めました。

わずか1年での独立も早いですし、持ち前の行動力で多くの顧客から信用を集めていったのは、

さすがとしか言いようがありませんね。

 

 

茶髪の弁護士として活動

多くの少年犯罪の弁護も務めた橋下氏ですが、

ある時、少年が心を開いてくれない壁に直面します。

スーツを着てピシッとした格好で、少年と対話していても全然効果がないことに気づいた橋下氏は、

あえて髪を茶髪に染めて、サングラスをかけて少年と会うようにしました。

 

 

その方が、少年の生活環境に近かったからか、少年は次第に心を開き始め、

橋下氏は事件の全容を掴むことができたそうです。

そしてここから橋下氏は、一風変わった茶髪の弁護士として、脚光を浴びるようになります

 

 

ラジオ番組出演がきっかけで、メディア進出を果たす

ある日、放送局の知り合いからラジオの番組に出てと頼まれた橋下氏は、番組に出演。

ここからキー局のプロデューサーの目に留まり、以降はテレビ番組に多く出演を果たします

番組では歯に衣きせぬ発言で、賛否両論を巻き込みながらも、多くの支持者を獲得し、

どんどん知名度も向上していきます。

 

行列のできる法律相談所」や「たかじんのそこまで言って委員会」などでレギュラー出演を務めました。

ここで、島田紳介や政治家として活路を見出してくれた、やしきたかじんに出会います。

 

 

しかし、コメンテーターとして多くの意見を強く述べてきた橋下氏ですが、

正しいことを評論家として言い続けても、結局何も変わらないという壁にぶち当たります。

 

 

「2万%出ない」発言から、大阪府知事へ立候補

2011年、テレビ番組で度々政治的な発言を繰り返していたことから、

大阪府知事選挙への出馬を報道されます。

その後、本人は番組内で「選挙に出ることは2万%あり得ない」と否定します。

しかし、実際には出馬の意向は既に固めていたようで、レギュラー出演していた番組への配慮だったそうです。

 

 

その後、正式に大阪府知事選挙への出馬を表明し、

38歳という歴代の知事の中でも圧倒的な若さであったにもかかわらず、

対立候補に圧勝し、見事当選を果たします

 

 

 終わりに

いかがでしたでしょうか。ここまでを振り返ると、

橋下さんの行動力の高さは小さな頃から並外れていましたね

しかし、決して裕福な育ちというわけではなく、その逆境によって、

自分の行動で、自分の人生を切り開くという癖がついていたのかもしれません

とにかく見習うべき点が多すぎますね。

 

また、当初橋下さんの偉人伝は1記事で書き切る予定でしたが、

政治家時代のエピソードがあまりにも濃いため、

政治家編として1記事にしたいと思います。

 

今回はこちらで以上となります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

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ゆとり薬局

現在30歳の長期投資家×助っ人薬剤師×ブロガー 日本全国を転々と活動しており、日本中が仕事先と自負している。 現在、愛知県で活動中。出身は大阪。 どうすれば経済的、時間的、精神的に自由になれるか、日々行動中。 ブログは週2で運営中。現在200記事超。YouTubeも元気に更新中!

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