偉人伝

先人から生き方を学ぶ〜落合博満〜

偉大な先人の歴史から生き方を学ぶ。

今回は元プロ野球選手であり、元監督の落合博満さんの人生をご紹介していこうと思います。

落合博満の特徴としては、実績も申し分無しの名選手でありながら、

監督としてもその卓越したマネージメント力で所属球団を何度も優勝に導きました。

一見、順風満帆に見える落合博満の野球人生ですが、

その道のりは決して平坦ではありませんでした。

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プロ入りまで

落合博満の人生を振り返って見てみると特にプロ入りまでの方が、

独特な人生でかなり面白いですね。

高校時代は体罰に耐えかねて入部と退部を7回繰り返す

高校時代の落合氏は既にかなりの野球の実力者であったようですが、

時代的にも体罰が良しとされている厳しい環境であったため、

先輩に反発するため、大会が始まる前に入部、大会が終わると退部を繰り返していたそうです

実に7度も入退部を繰り返していたそうですが、野球部では落合氏ほどの実力者が他にいなかったため、

周りからもそれを認められていました。かなりの異例の選手ですね。

ちなみに退部しているときは、特に練習もしておらず、ずっと映画館に通い映画を見ていたそうです。笑

大学時代も体罰に反発し、わずか半年で退学する

東洋大学に進学するものの、ここでも体罰が発生。

先輩の吸い殻を両手のひらで受けるなどの状況に徹底的に反発した落合氏は、

わずか半年で野球部を退部し、大学も同じ時期に退学してしまいます

その後秋田に戻り、ボウリング場でのアルバイトを始めます。

プロボウラーを目指すも、プロテスト当日にスピード違反を取り締まられ受験できず

当時のボウリングブームの影響もあってか、落合氏はやがてプロボウラーを目指すようになります。

持ち前のセンスもあって、めきめきと上達していきました。

そんなプロテスト受験を控えた当日、落合氏はテスト会場まで向かう道すがら、

スピード違反で罰金を食らってしまいます。

なけなしの受験料もその罰金として支払い、落合氏はプロテストの受験ができなくなってしまい、

プロボウラーの道はここで閉ざされてしまいました。

世界一の投資家、ウォーレン・バフェットの偉人伝も書きました。

臨時工として入職した東芝府中で頭角を現し、ついにプロ野球選手へ

その後失意の落合氏は恩師の元を訪れ、野球をするように諭されます。

そこで東芝府中の臨時職員として入職し、午前午後はラジオの組み立て、

17時から野球するという生活を続けていきました。

学生時代と違い、上下関係のない環境で、落合氏はめきめきと力をつけていき、

25歳でついにロッテからドラフトで指名され、プロ野球選手になるのでした

ちなみに2000本安打を達成した選手の中で、落合氏が最も遅いプロ入りでありました。

現役時代からプロ野球監督まで

数々の栄光を残した現役時代も落合氏の戦いは続きます。

それはグラウンドでも、グラウンド外でも。。。

プロ野球史上唯一の三度の三冠王を達成

落合氏の何よりの功績として三冠王を三度達成したことが挙げられますね。

本塁打王、打点王、首位打者を1年で同時に達成するアレです。笑

それを三度達成したのは、現在のプロ野球の歴史でも落合博満しかいません。

高校時代に上下関係に反発して映画館にいた青年がここまでなること自体がドラマですよね。

契約更改では徹底して戦い、初の1億円プレーヤーとなる

グラウンド外での戦いも落合氏の特徴でありました。

当時のプロ野球では、王貞治の年棒を超えてはいけないという暗黙の了解みたいなものがありました。

それでも落合は球団の幹部と徹底的に交渉し、プロ野球初の年俸調停など裁判すれすれにもなりながら、

日本のプロ野球選手として初の1億円プレーヤーとなります。

その後、2億、3億円プレーヤーも落合氏が初めてその扉を開きました

そういう意味では、他のプロ野球選手にも圧倒的に夢を与えた存在ですね。

当時の契約更改では、今では考えられない雰囲気で、落合氏自ら年俸を記者に公表していました。笑

監督就任1年目には、補強を凍結、現有戦力の10%底上げを宣言、見事優勝する

圧倒的な数字を残し、名選手としてその現役生活を終えた落合氏は、

2003年秋、ついにプロ野球、中日ドラゴンズの監督に就任します

就任会見では、

今このチームの補強はせずに、現有戦力の10%底上げを実現して、必ず日本一を勝ち取る

と宣言しました。

そこでまず落合が着手したのが圧倒的な練習の取り組みです。それはそれはとてつもない量でありました。笑

通常キャンプでは4日練習して1日休みが通例でしたが、6勤1休、すなわち6日練習して1日休みを採用しました。

そんなことをしている球団は当然落合のチームだけでした。

その練習量が身を結び、補強を一切行わず、就任わずか1年で中日をリーグ優勝に導きました

日本一を勝ち取ることは惜しくもできませんしたが、名選手でありながら名監督として歩みを始めたのです。

監督通算8年で4度のリーグ優勝、全ての年でAクラス入りを実現

終わってみれば、落合政権の中日は黄金時代でありました。

監督在籍8年間で、4度のリーグ優勝、日本一1回、そしてその全てのシーズンでAクラス入り実現したのです

圧倒的に選手の体力から鍛え上げていく、基礎的な部分から野球を取り組ませるというところは、

野村克也氏とも共通していますね。

実際に中日のペナントレースでは異常に後半戦に強かった印象があります。

選手がシーズンを通して圧倒的に体力をつけていたからこそ、最後の直線でも競り負けなかったのでしょう

本当にプロフェッショナルな野球人であったと思います。

終わりに

落合博満の野球人生はいかがでしたでしょうか。

一見すると順風満帆に見えるのですが、

その裏にかなりの努力と戦いがあったことは間違いありません。

鍛錬し続けることの大切さを教えてくれる野球人ですね

本当に尊敬します。

今回はこちらで以上になります。

最後までお読みいただきありがとうございました。

孫正義の偉人伝も書きました。ぜひ参考にしてください。

采配 [ 落合博満 ]

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ゆとり薬局

現在30歳の長期投資家×助っ人薬剤師×ブロガー 日本全国を転々と活動しており、日本中が仕事先と自負している。 現在、愛知県で活動中。出身は大阪。 どうすれば経済的、時間的、精神的に自由になれるか、日々行動中。 ブログは週2で運営中。現在200記事超。YouTubeも元気に更新中!

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