偉大な成功者は他の人間とどう違うのか。今日は孫正義から人生の生き方について学んでいきましょう。
彼は同じ人間のはずなのにどうしてここまで突き抜けることができたのでしょうか。
もちろんみなさんご存知のソフトバンクは日本でトップグループの一つとなる大企業に成長しました。
成功の裏側にあるものは何なのか。孫正義の人生を振り返りながら、その行動理念を分析していきましょう。
本題に入る前に、孫氏にはまず人生プランがあります。
- 20代で名乗り上げる
- 30代で軍資金を作る
- 40代で勝負をかける
- 50代でビジネスを完成させる
- 60代で次世代に引き継ぐ
まさに今でもその人生プランの途中であるのではないでしょうか。それでは生い立ちを振り返っていきましょう。
Contents
孫正義の人生を振り返る
高校を2ヶ月で中退し、単身渡米
当時中学生だった孫氏は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を愛読し、坂本龍馬への強い憧れを抱いていました。
高校生になった孫氏はアメリカ短期留学を経て、学問をアメリカで学ぶことを決心します。龍馬から学んだ高い「志」があったからです。
この時に休学してもしアメリカが辛かったら日本に戻ってくるのではなく、退路を断ち、高校を退学してアメリカ行きを決断します。
この頃から肝が据わっていますね。高校在学期間はわずか2ヶ月ちょっとであったそうです。
そこから孫氏はせっかくアメリカに来たんだから、時間を1秒も無駄にできないと、死に物狂いで勉強を始めます。
食事中も移動中もトイレ中も寝るとき以外は全て勉強に費やしていたそうです。
物理的な限界を超えて、勉学に励んでいた孫氏はわずか2週間で高校の勉学を全て終えて、飛び級で高校を卒業したのでありました。
やはり、この頃からスケールの大きさはとんでもないですね。(⌒-⌒; )
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カリフォルニア大学を卒業後、本格的に日本で事業を開始
カリフォルニア大学時代に死に物狂いの勉強時間の隙間で発明した特許で孫氏は既に3億円の売り上げがあったそうです。
帰国後、残った自身の手持ち1000万円を元手に、ソフトバンクを起業します。福岡の雑居ビルがオフィスでした。
初日にアルバイトの従業員2人を前に演説します。孫氏はみかん箱の上に乗り2人にこう言ったそうです。
「これからの時代はコンピュータの時代だ!我が社はこれから大きくなる!情報革命を起こすんじゃ!!」
暑い扇風機しかない部屋で、演説はまだまだ続きます。
「我が社の30年後を見よ!!売り上げを1兆、2兆、3兆と数える会社になるぞ!!まるで豆腐屋みたいだな!はっはっは!」
熱弁を振るうこと1時間。その熱い思いはしっかりアルバイト2人に伝わったかと思いきや、あまりのスケールの大きさにおかしな人と思い込まれ2人は1週間で去ってしまいました。
今考えると、そのお2人実に勿体無いことをしましたね。笑
創業1ヶ月目にして、資本金1000万を全て使い切る
その後、大阪でエレクトロニクスショーがあると聞いた孫氏は迷わず出展を決めます。
「ここで名乗りを上げる!!」まさに人生プラン通りですね。
しかし、出展費用は800万、さらに出展に際してカタログ費用は200万かかります。
孫氏は資本金をここに全部注ぎ込みます。もちろんここでお客さんが来なければジ・エンドです。
結果お客さんは、、、来ませんでした。まさかの敗戦かと思った1週間後、大阪の上新電機から注文があり、取引が始まりました。
そこからは飛ぶ鳥を落とす勢いで会社は成長し、1年で年商は30億円となりました。
孫さんは一旦成功するとそこから指数関数的に半端なく成長していきますね(^_^;)
肝臓を患い、余命5年と宣告される
着実に成長を積み重ねていったソフトバンクですが、孫氏に悲劇が起こります。
肝臓を患い、入退院を繰り返し、なんと余命5年と宣告されてしまいます。
この時は病院のベットで泣き崩れていたそうです。
この経験から孫氏は、「自分のためじゃない。どこか知らない国の小さい女の子からありがとうと言われるような仕事をしないといけない」と決心します。
そこから驚異的な回復力で肝臓病を克服した孫氏はさらにチャレンジを続けます。
アメリカ進出です。当時のソフトバンクの規模は時価総額2000億円でしたが、孫氏はさらに1000億近く借金して合計3000億円でアメリカ企業買収を繰り返します。
そこでついに金脈であるYahoo!を発見するのです。そこからYahoo! JAPANを開設。
アメリカのインターネットバブルの影響もあり、ついに時価総額でビルゲイツを抜くまでに成長したのです。
しかし、ネットバブルが崩壊、時価総額は世界一の状態から、100分の1となり、孫氏は窮地に追い込まれるのでした。
まさに大成功と窮地と行ったり来たりの人生ですね。常に戦いの連続です。
起死回生のブロードバンド事業
株価は100分の1となり、投資家からは不満の声が殺到します。
「詐欺師!!金返せ!!」など容赦ありません。
しかし、孫氏はそこからさらに勝負を仕掛けます。ブロードバンド事業です。
当時のネット回線はNTTの独占事業のようなものでした。圧倒的に高く、そして速度も遅い。
そこで孫氏は新しいネット回線であるブロードバンドを提供し、価格も5分の1で、速さは4倍になるというものでした。
当然顧客が殺到したのですが、肝心のネットが繋がりません。NTTが裏から手を回し、ネットを繋げないようにしていたのです。
ここで孫氏は動きます。許認可を持っている総務省に半ば殴り込みのように押し入り、「フェアにしろ!」と訴えるのでした。
それでもお役人の動きが遅いため、「ここで決めなかったらここで灯油かぶって死ぬ!!」そこまで宣言したようです。
やっと事態は収束し、ソフトバンクは勝利を収めたのです。
まさにブロードバンド事業は孫氏にとっての命がけの戦いだったようです。
ボーダフォン買収、iPhoneとの出会い
孫氏はまたしても命がけの戦いを繰り返します。
きっかけはアップルのスティーブ・ジョブズにアメリカで会った際に見たiPhoneでした。
直感的にこれは次世代の携帯電話になると思った孫氏はボーダフォンジャパンを買収します。
価格はなんと2兆円。これは現金買収の中では、当時で世界で2番目のスケールだったそうです。
ボーダフォンジャパンは3大キャリアの中ではブランド力も弱く、大手キャリアの中では最下位でした。
そこで、あらかじめジョブズと取り付けていた約束でiPhoneを独占的にソフトバンクが販売を始めます。
ソフトバンクがキャリア純増ナンバー1の携帯電話会社になったのは言うまでもありませんね。
まとめ
孫さんの強みはまとめてみました。
- 圧倒的な努力量
- 圧倒的な時代の先読み力
- 圧倒的なチャレンジ力
孫さんの場合は特にこのチャレンジする力が、ただ頭がいい人に比べて異様に高い気がしました。
ここまで資本金の全てまたはそれ以上突っ込んで大勝負する場面が何度もある起業家がいるでしょうか。
全て龍馬が言った「志」に自身と重ねているんでしょう。ある種ロマンチストですよね。
そんな孫さんはこれからはAI事業に参入していくそうです。
今後のソフトバンクの活動もますます目が離せませんね。
孫正義さんの生き方の流儀はこちらです
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